備忘録〜自分の3.11当日

おはようございます。

ヒューです。

個人的な話です。

一日過ぎてしまいましたが、東日本大震災から10年経ちました。

当時は巡回中で、取引先引き継ぎのご挨拶に向かう途中でした。乗っていた電車がある駅に停車した瞬間、カックンカックン物凄く揺れました。外を見ると電線などもグラングラン揺れてました。

どうしょうもないので車内待機。他の乗客がワンセグTVを見出して、チラッと見て(笑)何となく状況が分かってきました。会社携帯も自分の携帯も電池はギリギリ。運転再開を一応待ちましたが、意を決してタクシーもしくはバス狙いで降りました。

タクシーは止まりません。バスもなかなか来ません。ようやく来たバスも一駅進んだか、くらいでUターン。ここで下車し、その駅まで二駅程?歩きました。

駅につくと、駅以外、周りは全て停電。奇跡的に先方と出会えました。社長は家族の迎えで帰り、社員は帰れないので一人支店に残るとのことでした。

近くの知り合いのところに泊まるしかないか、と、いつ返事が来るかわからないメールを打ち、電池も食料も売っていない駅のコンビニでお茶だけ買い、一駅戻って、松屋は行列だったので近くのドトールに避難。知り合いから返信あり。家は停電なので泊められない。車で行って、私の家まで送る、とのことでした。確か新婚だった私(笑)を送り届けないと、という使命感で来てくれました。感謝しかありませんでした。。

環状線は大渋滞。裏道を進むもカーナビはすぐに環状線に戻そうとするので、超カーナビとの戦い、「そこ右!」「そこ左!」と2時間半格闘しながら、ようやく我が家に着きました。

夜中でしたが当然彼を迎え入れました。妻も何駅も歩き、奇跡的に乗れたバスで家に近づき、下車後も歩いてなんとか帰宅できたとのこと。自宅は本棚とそれが当たった姿見だけが「震度7」のような状態でして、あとは無事でした。妻がなんとか買えたカップラーメン3つを、3人で食べました。眠くならないうちに、と、知り合いは即帰りました。

彼は帰りは1時間半で着き、一眠りしたら翌日は遅刻したそうです(汗)遅刻してもいいようにはしてあったとのこと。でも停電で会社は機能してなかったようです。

私も翌日は自宅で取引先の安否確認などで終わりました。既に在宅勤務してました(笑)本社に泊まった人も少なくなかったようです。

その後、福島第一原発1号棟が水素爆発したり、「fukushima50」の内容をニュースでみたりして過ごしました。

10年たっても、上記映画のセリフ?で「人間の慢心」とありました。このご時世もそうです。油断大敵で過ごしましょう。

それではまた。

2021年3月12日